世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2849
世界経済評論IMPACT No.2849

ウクライナ戦争とユーロ危機

田中素香

(東北大学 名誉教授)

2023.02.13

 EU(ヨーロッパ連合)はG7などと連帯してロシア制裁・ウクライナ支援を強化してきた。だが,インド・中国などが親ロシアで動き,所定の効果はまだ乏しい。反対に,ロシアの反制裁攻撃(天然ガス供給停止)の効果は大きく,EUを2桁インフレと不況に追い込んだ。

 EU加盟国の家計・企業への財政支援は急増し,2020年のコロナ危機対応に続くダブルパンチを受けている。政府債務の南北格差は大きく開き,2010年から3~4年続いたユーロ圏の「政府債務危機」あるいは「ユーロ危機」の時期と同じ構図になった。

 連想ゲーム風にいえば,ユーロ圏に「欧州債務危機」が再発するはずだ。だが,昨今ユーロ危機はまったく話題にのぼらない。なぜなのか?

ユーロ圏諸国の政府債務の南北格差-今と昔

 2020年ユーロ圏で政府債務の南北対立が顕著になった。コロナ危機対応で各国の財政支出は急増,政府債務(GDP比)は南欧諸国などで20%ほど急膨張し,ギリシャでは200%を超えた。削減を進めようとした矢先の22年,ロシアの反撃によるガス価格高騰とインフレ高騰により財政支援が再び増えた。20年から赤字削減に邁進したギリシャは186%に下げたが,引き下げの進まないイタリアは148%,スペイン115%,フランス111%,対してドイツ66%,オランダ51%。南北の政府債務GDP比の格差は2011年より22年の方が大きい(22年の数値は同年11月の「EU経済見通し」による予想値)。

 ユーロ危機の第1波は2010年ギリシャを襲い,アイルランド,ポルトガルに広がった。翌11年の第2波で投機筋はスペインとイタリアをしつこく狙い,一時フランスにまで投機が及んだ。その年の政府債務(GDP比)はギリシャ171%,イタリア116%,スペイン69%,ドイツ78%,オランダ61%だった。

 当時ドイツ国民はギリシャのでたらめな財政運営に怒り,「財政赤字3%以下,政府債務60%以下」というユーロ圏の規定を踏みにじったとしてギリシャを非難し,メルケル首相は財政支援の条件として緊縮財政を求めた。不況の中の強烈な財政緊縮によってギリシャ経済は悪化,国立病厘は次々に閉鎖,薬をもらえない人が続出,失業した医者は海外へ,電気料金を払えない家計では電気が止められた。他の南欧諸国も財政緊縮に追い込まれた。南欧諸国の国民は,独仏EUに反発,ギリシャでは左派ポピュリスト政党が政権につき,20世紀もっとも親EUの国だったイタリアでも左と右のポピュリスト政党が18年選挙で1・2位を占め,連立政権をつくった。ユーロ危機はEU共同体を崩壊させたのである。

ユーロ圏は強化されている

 金融投機は今日も起きている。英国トラス政権は投機筋の攻撃を受けて44日間で退陣した。だが,ユーロ圏の話はでない。理由の第1に挙げるべきは,ユーロ制度の強靱化である。

 1)EUは巨額の基金(ESM:欧州安定メカニズム)を設立したので,財政危機国や銀行の救済に出動できる。ユーロ危機の時には危機国への財政支援はEU運営条約第125条により禁止されていて,メルケル首相が「ヤー」と言わないとユーロ圏は動けなかった。

 2)ECB(欧州中央銀行)は危機国の国債を無制限に買い支えるOMT(Outright Monetary Transactions)を備える。ユーロ危機の時ECBには平時の機能・権限しか与えられておらず,ユーロ圏諸国国債の直接の買い支えはEU運営条約第123条1項により禁じられていた。

 ユーロ制度に危機への備えがないことを投機筋は見抜いており,ロンドン金融市場では2010年初めに「今年はユーロで儲けよう」と投機筋が話し合っていた。南欧諸国はその餌食になった。ECBはOMTのほかに最近TPI(Transaction Protection Instrument)という国債無制限買い支えの手段も準備した。

その他の要因

 第2にEUの復興基金の効果がある。コロナ危機で大きく落ち込んだEU経済を復興させるためにEUは20年100兆円の基金(「次世代EU」)を設定した。資金は21年から25年まで年次の配分で,予定では南欧・東欧諸国に手厚い。イタリアはGDP比10%超になる。EUルール遵守が毎年チェックされるので,イタリア政府は今,かつてのポピュリスト政権のような勝手な行動は取れない。もっと大きくいえば,EUの連邦的な権限と加盟国への強制力が強化されたということである。

 第3に,ドイツが他のユーロ加盟国の財政赤字に寛大になった。

 これら2点については別稿で議論したい。

おわりに

 EUは今日インフレ・不況に直面している。そこにユーロ危機が再発すれば,EUのロシア制裁は混乱し,ウクライナ支援も揺らぎかねない。ウクライナの戦争敗北に直結する可能性もある。「政府債務危機」を経てユーロ制度が強靱化されEUが変貌したことは,今日ヨーロッパで正義が行われるための予行演習だったのではないかと思えてくるのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2849.html)

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