世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
女性の理工系人材を増やすには
(明治学院大学国際学部 教授)
2021.11.08
ここのところ,日本の理工系の女性人材の少なさがマスコミの話題になっていた。きっかけは9月に発表されたOECDの統計である。それによると,日本の高等教育機関でSTEM分野(Science,Technology,Engineering,Mathematics)を専攻する学生の女性比率は17%に留まり,統計が得られる35か国中で断トツの最下位だったという。理工系学部の女性教員の比率はさらに低い。
多くのマスコミは,日本の「リケジョ」の少なさを性別役割意識やジェンダーバイアスと関連付けて論じていた。たとえば,日本経済新聞は「日本の女性が理工系に向いていないわけではない」が「STEMの職業への親の期待感は娘より息子に対して強かった」として,「性別ゆえに個人の可能性が制約され,進学をためらわせる壁があるなら,なくさなくてはならない」と述べている。多くの有識者も同じような発言をしている。
こうした意見は正論だが,やや単純すぎる気もする。医学部入試における性差別に象徴されるように,日本社会にジェンダーバイアスが存在することは事実である。しかし日本の大学生の専攻の選択にはそのことに留まらない一般的な問題があり,「リケジョ」の少なさはその一側面でもある。以下ではそのことを論じたい。
話に入る前に,上記のOECDの統計に関して注意書きしておきたい。この統計においてSTEMに分類される専攻はNatural science, mathematics and statisticsとInformation and Communication Technologies(ICT),Engineering, manufacturing, and constructionの三つであり,医歯薬学や農学等は含まれていない。日本の理工系学部の中で医歯薬系や農学系の学部は他の学部に比べて女性比率が高いので,その分だけ女子学生のプレゼンスが過少評価されている。
また,日本では上記の三分類のうちICTの専攻者のデータが欠損している(つまりゼロになっている)一方,どの専攻にも含まれない「その他(Field unspecified)」に分類されている人が非常に多い。「その他」の中には新設が相次ぐICT系学部・学科で学ぶ学生(の一部)が含まれ,これらの学部も理学部や工学部に比べると女性比率が高い。マスコミのライターは多忙なせいか,こうしたことには無頓着である。
もちろん,上記のような問題を考慮しても日本の大学の理系学部の女性比率が低いことは事実である。しかし他の先進国に比べると,日本では男子学生の間でも理系分野の専攻者は多くなく,しかもその比率が低下傾向にある。日本の男子学生の間で外国に比べて専攻者が多いのは経営や法律などの社会科学であり,女性の間では人文科学の専攻する人が非常に多い。諸外国と比較した日本の若者の特徴は,男女ともに漠然とした好みや高校時代の僅かな得手不得手を基準に専攻を決めてしまう人が多く,将来のキャリアを考えて慎重に学部や学科を選択する人が多くないことである。
OECDは加盟国の15歳児を対象にPISAという学習到達度調査を実施している。15歳時点の成績を調査しているのは,欧州では高校レベルから進路の分岐がどんどん進み,中卒時点の学力がその後の人生に大きな影響を与える国が多いからである。
PISAの結果によると,多くの国において15歳時点の読解力は女子の平均値が男子の平均値を上回り,数学的リテラシーは男子の平均値が女子の平均値を(わずかに)上回り,科学的リテラシーには大きな差が見られない。それは日本でも同様である。したがって単純な比較優位だけで進路が決まる場合,文系学部に比べて理系学部の女性比率が低くなることはおかしくない。
しかし男女間の成績の違いは個人差に比べると小さい。また,OECDの調査によると,読解力の男女差が20歳代のうちに消失する一方,数学的リテラシーの性差は歳をとるにつれて拡大してゆく。これは言語能力が社会生活において必須である(ので歳をとれば誰でもそれなりに上達する)のに対し,数学的リテラシーは相対的に非日常な能力であり,それを頻繁に使用する環境に身を置かないとすぐに退化してしまうからであろう。
したがって若年時の男女間の読解力と数学的リテラシーの差は,先天的な能力の違いというより,その時点の関心の違いを反映したものだと考えることが自然である。小学生に将来の仕事の希望を尋ねた調査の結果を見ても,女子に関しては保育士や看護師,医師,教員など,対人サービスの要素を持つ職種が上位に並ぶ。これらの仕事ではコミュニケーション能力やソーシャルスキルが不可欠であり,それらは言語能力との親和性が高い。一方,男子の人気職種はエンジニアやゲームクリエーター,建築家やスポーツ選手などである。これらは個人プレーの要素が強い仕事か,一人ひとりの人間への関心より構造的な思考が鍵となる職種である。
こうした関心や志向性の違いが万国共通だとしても,それが進学や仕事の選択にどれだけ影響するかは社会環境によって異なってくる。大学の専攻が卒業後のキャリアや所得に直結する国の場合,15歳や18歳時点の好みや得手不得手をもとに専攻を決めるのは賢明でないという意識が働きやすい。
ところが日本では,一流企業が職業的意義の乏しい文系学部の卒業生を喜んで採用する。また,大学で何を専攻しようが入職直後の待遇はあまり変わらないことが多く,学費や学修の負荷の大きい理系学部に進学するメリットを感得しにくい環境にある。日本では「リケジョ」が少ないだけでなく,理工系学部を卒業した後に文系学生と同じ販売職や事務職に就く女性が少なくない。
入職時のスキルや経験を重視しない日本的雇用制度は,それに守られている間はそれなりに快適である。しかし大学でこれといった専門的スキルを身に付けずに卒業し,十分なキャリアを積む前に離職してしまうと,その後の人生が著しく不利になる。最近は育児を終えた女性のリカレント教育の充実を求める声が強まっているが,大学やキャリアの初期において十分な専門性を身に付けた人にとってそのような心配は無用なはずである。
日本の若者に卒業後の進路を考えて大学に進学するよう促すためには,大学の学びとその後のキャリアの繋がりがよく分かるようにする必要がある。最近,経団連や日経新聞は「ジョブ型雇用」の普及に熱心だが,仮にそうした雇用が広がれば,若者にもそうした繋がりが見えやすくなるだろう。
しかし「ジョブ型雇用」が話題になっていることは,それがまだ例外的な存在であることの証左でもある。経団連や日経新聞がどれだけ熱心に旗を振ろうとも,今日の日本において新卒の事務職と技術職の待遇に極端な差をつけたり,採用時に職種を細かく区分し,特定の学部や学科の卒業生だけを選考の対象としたりすることが簡単に定着するとは考えにくい。ひとたび本気でそれを始めると,伝統的な日本的雇用制度を総入れ替えする覚悟が必要だし,採用する側の専門性も問われるからだ。
筆者は「特別な経験やスキルを持たない若者をとりあえず入職させ,現場で鍛えることを通じて一人前にする」という日本のメンバーシップ採用にも多くの利点があると考えている。しかしそうして大学の専攻と卒業後の仕事の関係が希薄化すると,若者が自分の将来について真剣に考え始める時期が遅れ,大学が人的投資の場として機能しにくくなることも事実である。日本の「リケジョ」の少なさは,日本の教育と雇用慣行に関するそうした難しさも反映しているのではないだろうか。
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