世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2284
世界経済評論IMPACT No.2284

漂流する日本の大学教育

熊倉正修

(明治学院大学国際学部 教授)

2021.09.20

 筆者は文系の私立大学教員である。目的が曖昧なまま入学してくる学生が少なくないので,できるだけ早くから卒業後の進路について真剣に考えるよう促している。そうした中で改めて思いを強くしているのは,とりわけ文系学部に関する限り,今日の大学は何とも扱いにくい存在になってしまっているということである。

 学校基本法が謳う日本の大学の目的は「学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させること」である。最近は職業教育を目的とした専門職大学も設立されているが,これらはまだまだ例外的な存在である。大学教員の中には,自分の任務は研究と学術教育であって,就職や卒業後の人生の指南は別の人の仕事だと考える人が少なくない。

 しかし四年制大学の進学率が5割を超えた今日,こうした考えと現実の乖離はかつてないほど大きくなっている。一部の銘柄大学では今日でも知的探求心に導かれて入学してくる若者がそれなりにいるだろう。しかしそれ以外の大学では,よりプラクティカルな勉強に関心があるか,それすら欠いている学生が大半ではないだろうか。

 日本の大学教育の大衆化を加速させたのは1991年の大学設置基準の大綱化である。それまで抑えられていた大学新設の条件が大幅に緩和され,学部や学科の改組も自由になった。それと前後して行われた男女雇用機会均等法の改正が女性の社会進出を後押ししたこともあり,とりわけ女性の間で四年制大学に進学する人が急増した。

 その後に大学がどのように変化したかを観察すると,色々と興味深いことに気づく。第一に,男子学生に関しては,理学や工学などのハードサイエンスを専攻する学生が減少し,理系学生の間でも営業職や事務職に就く人が増えている。第二に,女性の四大進学者の間では,かつての短大生や専門学校生と似かよった学科を選択する人が多い。そうした学科には二種類あり,一つは看護士などの資格取得を目指す学科,もう一つは卒業後のキャリアに役立ちにくい人文科学や家政系の学科である。理工系学部で学ぶ女子学生も増えているが,男性に比べると大学院進学者や専門職に就く人が少なく,文系学生と似たような仕事に就く人の比率が高い。

 もう一つの大きな変化は,男女ともによく言えば既存の学問体系に捕らわれない,別言すると体系性の乏しい新しいタイプの学部や学科で学ぶ若者が急増したことだ。文部科学省は大学の学科分類表を作っているが,今日では既存の分類に収まらない「その他」の学科に進学する人が全大学生の30%に上る。その中には新しい社会的課題に挑戦することを意図した野心的な学科もあるが,それより多いのは間口が広く専門性に乏しい学科(例:社会総合科学)や,何らかのキャリアを想起させるが必ずしもそれへの橋渡しを保証しない学科(例:カルチュラル・マネジメント学)である。

 上記のような学科が急増した理由は,大学進学時に将来の方向を決められない若者や特定の学問にコミットすることに抵抗を覚える若者が増え,そうした若者を惹き付ける目的で多くの大学が新学部や新学科の設立に走ったことである。今日の多くの大学は職業教育に消極的なだけでなく,学問を体系的に教授することすら放棄している。

 こうした状況には経済界やマスコミからの批判が絶えないが,彼らの主張も混乱している。経団連の提言や日本経済新聞の社説を読むと,これからは新卒者もジョブ型採用だとしきりに書かれている。しかし日本の企業の中で「学部・専攻不問」の新卒一括採用に対する依存度が最も高いのは経団連の会員企業のような大会社である。新卒者にジョブ型雇用を適用するためには欧州のように職種別に細分化された高等教育プログラムが必要である。しかし経団連は「大切なのはリベラルアーツ教育だ」とか「これからは文理を問わず大学生全員がデータ・サイエンスと実用英語を学ぶべきだ」とも言っている。

 成熟した先進国では若者が大人になる時期が遅くなる傾向があるが,日本にはそれを助長する社会的要因がある。日本人は年齢によらず変化や決断をリスクとみなす傾向が強く,先送りできる決断はいつまでも先送りしようとする。多くの外国では職業性の乏しい学校を出ても仕事にありつけないので,周囲が早くから本人に進路の決断を迫る。日本では逆に成績が良好で安全重視の若者ほど職業性の乏しい普通教育課程に留まろうとし,両親や学校もそれを推奨する。しかも何の職業的スキルも身についていない若者を企業が好んで採用するため,どこまでも決断を先送りすることが賢明な選択になってしまっている。

 それでも筆者は企業が特定の職業能力を持たない若者を雇い入れて鍛える採用慣行が悪いとは考えていない。社会人に大学で学んだ知識を仕事で使っているかどうか尋ねると,文系はもちろん,理系学部の卒業生ですら使用していないと答える人が少なくない。仕事に必要な知識やスキルの多くは学校で画一的に教育できるようなものではなく,よりダイナミックなもの,実際の業務の中で自ら悪戦苦闘しながら身につけるものではないだろうか。

 今日の文系大学生の中には三年次までに卒業に必要な単位の大半を取得し,四年次に就職活動を終えても大学にろくに姿を見せないまま卒業してゆく人が多い。こうした若者を六年制の課程で学ぶ医歯薬系の学生や大学院進学者が多い理工系学部の学生と同一視しても混乱するだけである。大学を卒業して就職し,そこで初めて自分が何を目指すのかが決まる人たちは,できるだけ早く卒業させることが望ましい。四年次夏までに内定を得た学生をそのまま内定先にインターンとして入職させ,インターン終了後に本採用するしくみを整えるなどして,若者が貴重な時間を無駄にしないように社会全体でサポートすべきである。

*本稿テーマの詳細な論考は,「ユニバーサル化する大学の職業的意義」(世界経済評論インパクトプラス No.21)を参照ください。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2284.html)

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