世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
なぜロシアは変わらないのか
(丸紅経済研究所 経済調査チーム長 チーフエコノミスト)
2021.02.08
「ロシアではプーチン大統領の支持率が圧倒的に高いはずなのに,なぜこのようなデモが起こるのか?」
ロシアの反政権活動家ナバリヌイ氏の逮捕・拘束とそれに伴うデモ活動に関する報道が熱を帯びている。私も状況を広く社内に説明すべく同僚と文案を練っていたところ,ある同僚から発せられたのが上記質問だ。
確かに足元の報道はロシア通の記者が現状を切り取ったもので,上記質問に答えるものとはなっていない。そこで以下,私なりにできるだけ客観的に(ロシアの場合これが難しいが)この質問に答えつつ,展望を考えたい。
まずプーチン大統領とナバリヌイ氏の支持率をみてみよう。大統領と一市民の支持率を横並びで比較するのはナンセンスと知りつつ,ロシアでは比較的公平とされるレバダセンターのデータを見ると,2020年5月の世論調査ではプーチン大統領支持率59%(不支持率34%)に対しナバリヌイ氏の支持率は6%(不支持率35%)とその差は歴然としていた。しかしナバリヌイ氏が有毒物質による襲撃を受けたとされる直後の2020年9月の世論調査では,プーチン大統領の支持率69%(不支持率30%)に対しナバリヌイ氏の支持率は20%(不支持率50%)と,その差は依然大きいもののナバリヌイ氏が大きく支持率を伸ばした。更に2020年11月調査ではプーチン大統領支持率は65%(不支持率34%)に低下した(この時ナバリヌイ氏の支持率調査はなかった模様)。2020年9月調査のナバリヌイ支持20%と2020年11月調査のプーチン不支持34%,かなりの重複があると思われるので単純に足し算はできないが,反プーチンでまとまれば一大勢力だ。これがデモの原動力である。
では今回の一連のデモでロシア社会は変わるのか。ある手紙の一節を紹介しよう。
「先週のデモの広がりはクレムリンにとって不快な驚きだっただろう。しかし我々は以前にもこういう状況を見たが,プーチン大統領が今も君臨しているのはなぜか。ロシアの街頭に立つ10万人は,現体制を好む全人口の60%より少ないという事実がある」
これはFinancial Timesに1月29日付で掲載されたアンソニー・ブレントン卿(元駐ロシア英国大使)からの投書の一節だ(因みにこの投書はこの週でもっとも多く読まれている)。この投書の通り,身をもってソ連解体直後の窮状を知る40歳以上のロシア人は依然ロシアの有権者の6割強を占める。あるロシア人はソ連解体直後の窮状を「あれは敗戦後だ」と語っていた(90年代初頭のロシアに暮らしたことのある筆者としては,同世代のロシア人の気持ちが多少理解できる)。従ってそんなロシアを,油価高騰の追い風をうけながらではあるが,建て直したプーチンに対する高い支持率はある程度納得できる。識者の中には「『プーチンが建て直した』論法はもう古い」という人もいる。しかし「プーチンが建て直した」論法が通じない,ソ連解体後の窮状を知らぬ20代の若者は有権者全体の約13%に過ぎない。90年代の大混乱もあり,20代の若者が相対的に他の世代より少ないこともロシアの変化を遅らせている原因かもしれない。
この手紙が示唆する通り,2月2日に裁判所はナバリヌイ氏に対する3年6カ月の執行猶予付き有罪判決を実刑に切り替えると決定,同氏はこのまま収監される可能性が高い。その結果,9月に予定されているロシア下院議員選挙へのナバリヌイ氏の出馬は当局の目論見通り不可能となるだろう。9月の下院議員選挙を控えて不確実性はあるが,今後1~2年のロシアの内政は政権の思惑通りに動いていくだろう。
問題はプーチン政権がコントロールしきれない外交,特に米国との関係だ。実は先の投書のタイトルは「誤った分析が悪い対ロ政策につながる」というもので,その要旨はこうだ。「西側が新たな制裁を科せば3つの効果がもたらされる。第1に『ナバリヌイ氏は西側の手先である』という既にプーチン政権によって広められたプロパガンダを強化する効果,第2にプーチン大統領のもとでロシア国民の大半・エリート・治安機関を一層団結させる効果,第3に中国側へのロシアの漂流(drift)を加速させる効果だ」。
第3の「漂流(drift)」は「ロシアにその意志はない」というニュアンスが感じられる味わい深い表現だ。
ナバリヌイ氏の逮捕を受けて,米国のバイデン新政権は何らかのアクションを起こすべく検討に入っているという。しかしこの手紙が示唆するように,新たなアクションが従来と同じようなものであれば,米ロ関係にも,そしてロシア自体にも,大きな変化は望めない。そういう観点からバイデン新政権が繰り出してくる対ロ政策の第一手に大いに注目したい。
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榎本裕洋
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