世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
政府の緊急経済対策と条件付き現金給付の問題点
(法政大学 教授)
2020.05.04
自民党・公明党や国民民主党など各党は,新型コロナウイルスの感染拡大にかかる緊急経済対策の提言を取りまとめて公表している。今回の対策で最大の争点となったのは「現金給付の範囲(支給対象・条件)と金額」である。
公明党や国民民主党は,現金給付は一律で,国民1人当たり10万円の給付を行うことを提言していたが,最終的には,先般(2020年4月3日),安倍首相が支給対象を「一定の水準まで所得が減少した世帯」との条件をつけ,1世帯当たり30万円を現金給付する旨の意向を示して政治的に決着した。支給対象に関するこの条件の下では,日本の全世帯(約5300万世帯)のうち約1000万世帯が対象になる見通しのようである。
タイムリーな所得情報を把握できない現行制度では,公平性の観点から,この条件は難しい問題を抱えている。また,支給対象を「個人」でなく,「世帯」とすることも様々な問題を引き起こす。この点を簡単な事例で考察してみよう。
1)支給対象(世帯 vs 個人)
まず,給付を「個人」単位でなく,「世帯」単位で行う問題点を考えてみよう。このため,いま,年収が400万円の個人A,年収300万円の個人B,年収100万円の個人Cがいるものとする。その際,世帯1は個人Aのみの1人世帯,世帯2は個人Bと個人Cの2人世帯で構成されるものとする。また,世帯1と世帯2の世帯年収は同じ400万円とし,新型コロナウイルスの感染拡大の影響に伴う所得の減少も同じで,それぞれ30万円の現金給付を受けたとする。
このとき,世帯1では1人(個人Aのみ)で30万円を受け取れるが,世帯2では2人(個人B+個人C)で30万円なので,それぞれは平均で15万円の現金給付しか受け取れない。これは,「世帯」単位での給付が公平性の原則に反する可能性を示す。
なお,「個人」単位でも,一律の給付でなく,所得制限を付けると,それも問題が発生する。例えば,上記の事例で,「個人」単位で現金給付を行うが,「年収350万円以下に給付」という所得制限をかけたとする。このとき,個人Bと個人Cは30万円の現金給付を受け取ることができるが,個人Aは給付を受け取れない。
2)支給の条件
では,「一定の水準まで所得が減少した世帯」との条件はどうか。政府が4月7日に閣議決定した緊急経済対策では,支給条件は「世帯主の月間収入(本年2月~6月の任意の月)が,①新型コロナウイルス感染症発生前に比べて減少し,かつ年間ベースに引き直すと個人住民税均等割非課税水準となる低所得世帯や,②新型コロナウイルス感染症発生前に比べて大幅に減少(半減以上)し,かつ年間ベースに引き直すと個人住民税均等割非課税水準の2倍以下となる世帯等」と記載されている。
まず,住民税均等割非課税の世帯年収は,独身世帯では約100万円以下,配偶者や子どもが扶養のとき,夫婦世帯では約150万円以下,夫婦と子ども1人の世帯では約200万円以下,夫婦と子ども2人の世帯では約250万円以下などである(注:数字は概ね10万円単位の値)。
いま年収400万円の世帯(配偶者や子どもが扶養)が,新型コロナウイルスの影響で年収が45%減の220万円となったとする。このとき,上記①と②の条件では,この世帯が夫婦と子ども2人の世帯であれば(①に該当し)現金給付30万円を受け取ることができるが,この世帯が夫婦と子ども1人の世帯であれば(①と②の両方に該当せず)受け取ることができない可能性がある。扶養の子どもが1人多いか少ないかで,現金給付の受給に関する可否が決まってしまう。
他方,世帯構成が同じ(夫婦と子ども2人の世帯かつ配偶者や子どもが扶養)だが,感染症発生前の年収が600万円の世帯と550万円の世帯がおり,どちらも感染症発生後の年収が300万円になったとする。このとき,夫婦と子ども2人の世帯における住民税均等割非課税の年収は約250万円のため,感染症発生後の年収が300万円ならば,①は該当しない。一方,この世帯における②の「個人住民税均等割非課税水準の2倍以下」の条件は「感染症発生後の年収が約500万円以下」を意味するから,感染症発生後の年収が300万円のどちらの世帯も,②のこの条件は満たす。しかし,感染症発生前の年収が600万円の世帯の年収減は50%だが,感染症発生前の年収が550万円の世帯は年収減が約45%のため,②の「感染症発生前に比べて大幅に減少(半減以上)」の条件は年収600万円の世帯は満たすが,年収550万円の世帯は満たさない。
以上から,感染症発生前の年収が600万円の世帯は(②に該当し)現金給付30万円を受け取ることができるが,感染症発生前の年収が550万円の世帯は(①と②の両方に該当せず)受け取ることができない。元々,年収550万円の世帯の方が家計が厳しいと思われるが,感染症発生前の年収の微妙な差異で,現金給付の受給に関する可否が決まってしまう。このような制度設計は公平性の原則に反しないか。
また,支給条件の「…2倍以下となる世帯等」の「等」の解釈が明らかでなく,この「等」が「共働き世帯のケース」を含む可能性があるが,「世帯主の月間収入(本年2月~6月の任意の月)が」という条件が,共働き世帯にも適用となるのか否かも重要である。例えば,共働き世帯で世帯年収が同じケースを考えよう。このとき,年収減が世帯主ならば支給対象になるが,もし年収減が世帯主でなければ支給の対象外という扱いとなると,公平性の原則に反する。
なお,新型コロナウイルスの影響で収入に変動がない生活保護受給者や年金受給者・公務員は基本的に①や②に該当しないが,低年金で老後の生活費の不足分を働いて賄っている世帯も①や②に該当する余地を可能性がある。
しかしながら,失業手当の受給者などの扱いも気になる。失業手当の受給者を対象外にするが,失業手当の申請を遅らすことで30万円の現金給付を受け取れるならば,現金給付と失業手当のタイミングが異なる人々の間で不公平が発生してしまう。合理的な人間ならば,戦略的に申請のタイミングを変えるはずだ。
3)賃金操作の可能性
政府の制度設計で最も問題なのが,戦略的な「賃金操作」をどう防止するかである。例えば,いま,独身世帯の従業員(年収120万円)を抱える企業が従業員の5月・6月分の賃金を年収ベースで30万円カットしたとする。このとき,この従業員(独身世帯)の感染症発生後の年収は,住民税均等割非課税の世帯年収(約100万円)を下回るため,支給条件の①に該当し,この従業員は30万円の現金給付を受け取ることができる。
この賃金カットが,新型コロナウイルスの影響であれば問題ないが,そうでない場合も経営者は戦略的に賃金カットができるが,そのカット分は企業や経営者の利益となる。このような戦略的な賃金操作を政府は見抜くことができるはずがない。このような悪意のある企業は得をし,真面目な企業が損をする可能性も否定できない。
また,支給条件の「世帯主の月間収入(本年2月~6月の任意の月)が,…年間ベースに引き直すと」も「賃金操作」を可能とする。例えば,月収15万円(年収180万円)の従業員(独身世帯)に対し,新型コロナウイルスの影響と偽り,その6月分の賃金を12万円カットし,7月分以降の月収は15万円に戻す戦略をとる。このとき,7月から12月の月収予測を6月分の賃金を基準にしながら,この従業員の年収を年間ベースに引き直すと,それは96万円(=15万円×5か月+3万円×7か月)になる。この年収は,住民税均等割非課税の世帯年収(約100万円)を下回るため,支給条件の①に該当し,この従業員は30万円の現金給付を受け取ることができる。
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