世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1551
世界経済評論IMPACT No.1551

技術とアートの融合:アルメニアのIT教育に学ぶ

今井雅和

(専修大学 教授)

2019.11.25

 「技術だけで事足りるわけではない。技術が教養や人文科学と一体化することで初めて人の心を揺さぶることができる」。スティーブ・ジョブスの言葉である。禅に傾倒し,技術を人の琴線に触れる形にすることで社会の仕組みを変換した人の信念である。

 今夏,短期間ではあったが,アルメニアを訪問し,IT教育の現場を視察する機会に恵まれた。まずは,アルメニアについて素描してみよう。アルメニアはカスピ海と黒海に挟まれた南コーカサスに位置する。旧ソ連邦の構成国で1992年に独立した新しい国であるが,長い歴史を有する。部分的ながらメソポタミア文明発祥の地で,交通の要衝に位置することから,古代より多くの国が行き交い,他国による支配をうけることも多かった。世界で初めてキリスト教を国教とした国としても知られる。

 人口は300万人程度の小国であるが,ユダヤ人と同じくダイアスポラ(民族離散)の民として知られ,現在700万人ほどのアルメニア人が故国を離れ暮らすとされる。また,姓の最後に「誰々の子供」を意味する,「~ヤン」「~イヤン」がつく人が多い。筆者がすぐに思い浮かべるのは,ソ連副首相だったミコヤン氏とロッキード事件のコーチャン氏(かなり古い),米国の投資家で大富豪だったカーク・カーコリアン氏などである。「商売上手のユダヤ人が束になっても,アルメニア商人には敵わない」と述べた人がいるように,移住先で経済的成功を収めて人々が多いこともアルメニア人の特長である。

 ところで,アルメニアといえば,アララト山を連想される人も多いと思われる。旧約聖書のノアの箱舟が流れ着いたのがアララト山とされ,アルメニア人にとっては母なる山,この国のシンボルでもある。同国の国章の中心にはアララト山とノアの箱舟が描かれている。ただ,アララト山は現在トルコ領となっており,勢力圏が現在のようになった100年近く前,その過程でアルメニア人ジェノサイドが発生したともいわれる。

 そこでジョークを1つ。「トルコ人がアルメニア人に対して,自国領土にないアララト山を国章に描くというのはいかがなものかと発言したのに対して,アルメニア人はトルコの国旗にも月と星が描かれてますなあと返したとか」。

 まずは,Instigate Design社である。同社は社員数100人程度の小規模のソフトウエア会社である。欧州のIT企業,ITコンサルティング企業が主な顧客,パートナーであるが,日本にも販売拠点(代理店)を設置し,ITソリューションを提供している。同社のInstigate Training Centerはもともと新規採用者の訓練を目的に2004年に開設された。2008年にNGOに,2011年には同センターを財団化(Instigate Training Center Foundation)し,パートナー企業や他のIT企業への人材供給源にもなった。これまで約800人のIT技術者を輩出してきた。教育内容はさまざまな分野のIT関連知識・技術であるが,筆者が感銘を受けたのはそうした実践的な教育に先駆けてあるいは同時並行でハード制作が義務付けられていることである。同センターの各教室のドア,机,椅子,その他さまざまな調度品は木やプラスティック,金属などの原料を用い,受講生が制作したものである。そうしたハードウエアは中国などの他の新興国から購入すれば安価に入手できることはわかっているが,将来のIT技術者にとって,自らさまざまなハードウエアを設計し,制作する経験は貴重で,彼らのIT技術者としての能力の幅を広げることにつながるのだという。

 もう1つの事例は,TUMO Center for Creative Technologiesである。同センターの創設者はベイルート生まれのアルメニア人で,米国で教育を受け,テレコムビジネスで成功した企業家・技術者である。センターはNGO組織で,10代の受講生が無料で教育プログラムに参加できる。現在,アルメニアに4カ所,それにベイルートとパリの計6カ所で運営されている。ちなみに,アルメニアの首都エレバンのセンター運営経費は,同じ建物に入居する世界的な画像編集ソフトウエア会社のPicsArt社ほかへの賃貸料で賄っているとのことである。アニメーションやゲーム開発などの14の学習目標を設けたテーラーメードの教育プログラムで,優れたIT専門家を輩出している。日本を含む世界100カ国以上から,各分野の専門家がボランティアとしてセンターを訪れ,おのおののプロジェクトを主催し,子供たちの教育に当たっている。ここで感心したことは,参加者は音楽か美術のいずれかを選択し,IT教育プログラムと同時並行で芸術を学ぶことが義務づけられていることである。技術単独でできることは限られており,それを創造的に活かすとなれば,芸術的センスが求めれるということであろう。

 アルメニアの人たちとの対話で,日本の経験と技術に学びたいという話があったが,筆者の偽ざる感想は,日本こそアルメニアに学ぶべきということであった。小学校への英語教育導入というときに英語か国語優先かという二元論に陥りがちな日本。大学教育では,「技術で勝って,経営で負けた」との反省の弁が企業社会で述べられた時期に,人文社会科学よりも技術教育を優先すべきといった議論が安易に唱えられた。大学での教養教育が片隅に追いやられる傾向がある一方で,全入時代の到来によって,大学では教育内容を含め多くのことが義務教育化しつつあるように見える。教養教育を深めると同時に,専門教育によって尖った人材を輩出できるかが問われているのではないだろうか。

 優れた構想による事業設計あるいは事業の再設計が求められるなか,断片的な知識や技術では大きな絵を描くことはできない。一見不要と思われる幅広い知識,豊かな感性,そして失敗を含むさまざまな経験が各人のなかで化学変化を起こしてこそ,創造的なアウトプットが生まれる。技術とアートのマリー(融合)を実現できる人材をいかに多く育てるかは,迂遠に見えても,結局は日本が世界のなかで輝きを取り戻すための近道なのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1551.html)

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