世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1370
世界経済評論IMPACT No.1370

米中貿易摩擦の長期化とサプライチェーンの再編

池部 亮

(専修大学 准教授)

2019.05.27

米国の対中制裁関税は誰が負担するのか

 2018年の夏以降,米国と中国の貿易摩擦が激しさを増し,通商協議も事実上決裂したかのように見える。実体経済に目を向ければ,財の輸入に制裁関税と報復関税を掛け合う勝負には勝者はおらず,米中だけでなく世界経済も大きな痛みを被ることになるであろう。

 米国の対中制裁関税が第4弾まで実施されることになれば,米国の対中輸入品のほぼ全てに高関税が付加されることになる。短期的には米国が中国生産に依存してきたパソコン,スマートフォン,玩具といった様々な工業製品,原材料の輸入価格が上昇することになる。関税上乗せ分は生産者がある程度を負担する可能性もあるが,代替生産の難しい財であればあるほど,最終的にはその負担は米国民が負うことになる。中国以外の国や地域に生産立地を転換する動きも出てきてはいるが,中国生産品よりも安価に生産できることが保証されるわけではない。周辺産業が重層的に集積し,道路や港湾といった良好な輸送インフラが整う中国から生産工程を抜き出し,他国へと移転することが経済合理性に照らして正しい選択とならないケースも多いであろう。政策リスクを嫌気した転換である以上,企業としては経済合理性を一旦横に置いて判断することになる。

サプライチェーンの再編

 米中貿易摩擦が長期化する様相を呈しており,代替生産が可能な製品の生産立地は中国以外を視野に転換していくことになる。ただし,グローバル企業の生産品や特定資源の調達先の転換は容易でない。グローバル企業の中国生産は安価で豊富な労働力に依存した労働集約型産業を中心に量的拡大を図ってきた。しかし,2000年代後半から中国の人件費,社会保険といった労務コストが上昇し,輸出企業の多くが東南アジアなどに新工場を建設したり,他国の自社既存工場に中国生産分を振り替えるなどしてきた。コスト面以外でも中国に一極集中した生産体制をリスクと捉え,生産分散を行うチャイナ・プラス・ワンと呼ばれる動きも2000年代半ばから継続して進められてきた。このような二次展開の企業戦略は今回の米中貿易摩擦が長期化する中で加速することになるであろう。

 これまで,第1弾,第2弾,第3弾という段階で対中制裁関税が付加され,第3弾ではプラスチック製品や家具類など多くの消費財にも制裁範囲が及んでいる。こうした消費財は中国依存が高い商品群が多い。例えば,2017年の米国の家具類輸入に占めるシェアは中国が52%,メキシコが16%,ベトナムが8%,カナダが7%などとなっている。重量や容量の大きい家具類は輸送費の観点で需要地の近くで生産することが合理的であり,従前のNAFTA(今後はUSMCA)もあることから隣国のメキシコとカナダが調達先として選好されてきた。一方,中国とベトナムからの輸入は輸送費がかかるものの,それを相殺しても余りある価格競争力を持つが故に高いシェアを保持していると言える。普及品(汎用品)の生産基地としての中国からの輸入品価格が上昇することになれば,ベトナムへの生産移管が今後進むことが予想される。家具類以外でも米国の対中輸入の主要品目にベトナムが占めるシェアは大きくなりつつある。スマートフォンでは,中国(80%),韓国(10%),ベトナム(8%),衣類は中国(34%),ベトナム(14%),バングラデシュ(6%),履物は中国(56%),ベトナム(22%),インドネシア(6%),印刷機械(ネットワーク接続型)では中国(48%),タイ(14%),ベトナム(11%)などである(いずれも金額ベース)。これら品目は第3弾までを念頭に書き出したものであるが,第4弾が実施されることとなれば,パソコンやスマートフォンなど,中国依存の高い商品の生産立地の転換が加速することになるであろう。この場合,IT関連製品の集積を持つ,ベトナム,タイ,マレーシア,フィリピンなどが新しい生産立地国となる可能性がある。

ベトナムの懸念

 チャイナ・プラス・ワンの受け皿として久しく注目されてきたのがベトナムである。人件費は中国の3分の1程度,中国南部と陸で接し,世界の工場たる広東省とも近接している。また,社会や文化,国民性などは儒教思想が通底しており,エレクトロニクス製品の主要生産地である日本,中国,韓国,台湾など東アジア諸国・地域と文化的な親和性も高い。ベトナムはASEAN自由貿易圏の一員であり,TPPの原加盟国でもある。このほか,欧州連合(EU)とFTAの発効を控えるなど,良好な対外通商環境を備えている。こうしたことから,輸出生産基地として最適な条件を持つベトナムが中国からの生産分散の立地場所として注目されてきた。

 今回の米中貿易摩擦による生産シフトがベトナムに向かい,さらなる外資誘致で工業化を目指すベトナムにとって絶好の機会とする見方もあるだろう。しかし,ベトナムの政府関係者や研究者と話すと,ベトナムとしては米中貿易摩擦による生産シフトがベトナムに向かうことについて,むしろ警戒している様子である。米国の貿易赤字の相手国としては,中国が最大で,メキシコ,日本,ドイツ,アイルランドが続き,6番目にベトナムとなる。ベトナムに対する米国の赤字額は米国貿易赤字全体の約5%を占める。ベトナムへの生産シフトで,労働集約型産業の繊維,履物,家具などの対米輸出が増え,新たにIT関連製品の組み立て生産が移転することになれば,対米輸出額はますます拡大してしまう。ベトナムは米国との二国間通商交渉の俎上に上がってしまうことを懸念しているのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1370.html)

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