世界経済評論

世界経済評論 2015年 1/2月号

◆巻頭言『終刊にあたって』

世界経済研究協会会長
池間 誠(いけま・まこと)

 本誌『世界経済評論』は、『世界と日本』の継続後誌として、1956年(昭和31年)6月号(通巻26号)をもってスタートした。以来、その前誌を含めると、ほぼ60年が経った。しかし、発行母体の世界経済研究協会が今年度で活動を停止するにともない、痛恨のきわみではあるが、本誌は今回の通巻681号をもって終刊となることをご報告しなければならない。

 60年間の本誌を通観して、本誌の果たしてきた役割や寄与を、ごく限られた点に絞って、私なりに、振り返ることをお許しいただきたい。本誌は、まず第一に、世界経済の動向と課題を展望しつつ、その中での日本経済の役割と進路を示唆してきた。特に学界の理論的分析、産業界の体験的知識、さらには官界の政策志向的提言を融合した、いわゆる産官学の協同作業が本誌上で展開されてきた。第二に、このことによって、一般読者だけでなく学界、実業界、官界における世界経済認識を高め、バランスのとれた総合的視野を与えてきた。

 第三に、本誌は、日本国際経済学会をはじめ、国際ビジネス研究学会、そして最近ではアジア市場経済学会と連携しながら、発表の場を提供することで学界活動を補完し、その活性化、さらには研究者の育成と発掘に寄与してきた。そのために、例えば、本誌は、当初から現在まで研究者欄を開設してきたし、また、処女論文の発表が本欄であったという関係者は少なくないであろう。さいわいに、研究者欄だけでなく、本誌に掲載される論文には一定の権威が与えられ、研究業績として評価されるに至った。最後に、最近では、白馬会議を含めたシンポジウムやフォーラムの形式で取り上げられ活発に議論されたことが、本誌に掲載され、内容を多面的、多層的にならしめた。

 もちろん、以上にとどまるわけではないが、本誌は、その発行の歴史の流れの中で、研究面においても、実際面においても、その使命を反映した一定の役割を果たしてきたと言えるであろう。しかし、本誌のような純粋な学会誌でもなく商業誌でもない雑誌は、ある規模の支援者(パトロン)を確保し、その財政基盤を安定化し強化する必要がある。本誌も、詳述は控えるが、その発行母体の数字の組織改編によって、特に産業界や政府の自らの調査研究所機関の整備拡充とICT革命の進行という時代の流れの中で、財政危機の克服と財政基盤の強化に努めてきた。しかし成果乏しく、苦渋の決断として、協会の活動停止、それに伴う本誌の終刊を選択するに至ったのである。

 最後に、この60年間における世界経済の急速な一体化と構造変動の中で日本経済の役割と針路を見据えつつ、本誌がここまで存続できたのは、団体会員、個人会員、一般読者、賛助者をはじめ産官学の多くの方々の並々ならぬ献身的なご尽力とご協力とご支援の賜である。皆様に、心から感謝し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

編集後記

 別れの時は必ず来るもの。2006年9月号から始めて本号まで69回、「編集後記」を書かせてもらった。1953年創刊の本誌には、それまで誠に不思議ではあるが「編集後記」欄がなかった。梶野宏「編集担当」より、当たり前のように命じられたのが始まりであった。本誌の継承を念じて、「とりあえずの終刊号」としたが、60年余に及ぶこの雑誌の最後10年足らずを、それこそ自由奔放に「編集」させてもらった幸運と責任の重さを今更ながらに感じている。この間、ドキドキしながら過去の伝統にも挑戦して来た。

 時折やっていた講演会やシンポジウムに「世界経済評論フォーラム」という冠をつけ、雑誌の特集テーマとリンクした。1964年11月号から採用されていた、グリーンというか「みどり色」をベースとした方眼紙のような表紙を、フォーリンアフェアーズ誌ばり(?)にモデルチェンジした。伝統の月刊誌を隔月刊にしたこと。これ自体は苦肉の財政延命策ではあったが、この決断から「世界経済評論IMPACT」というウェブコラムが誕生した。そして、雑誌媒体から飛び出した白馬会議をあれよあれよという間に7回も続けて来た。等々である。思えば、ヒヤヒヤしながらも暖かく(?)容認して頂いた協会理事諸氏の寛大さが支えであったと思う。

 悲しいこともあった。私に編集発行人を2006年にバトンタッチしてくれた韮澤嘉雄氏が、その数か月後、高齢ではあったが急逝された。2010年には彼と一橋同世代の恩師小島清先生が逝った。亡くなる前夜までゲラ校正をされた本誌遺稿がその年の3/4月号巻頭に掲載されている。

 ところで、編集発行人というのは妙な仕事である。戦後、ボリショイサーカスを始め世界から超一流の芸能団を引っぱって来て国際興行師の神様と言われた神彰氏に出会ったことがある。彼には日本に呼びたいと思う自分の情熱を、いつしか交渉相手側の日本で演じてみたいという情熱に転嫁させてしまう不思議なエネルギーがあった。全く分野は違うが、この8年間余、世界経済評論の舞台で発言してもらった方々と私との「知の交渉」も一種、呼び屋的ドラマが幾つもあった気がする。只、編集者として「知の動員」にあまり熱中していると、自ら知を造りだす力が退化して来ていることにも気が付いた。この世界からそろそろ足を洗って、「知行合一」、斬れば血の出る世界に戻ろうと思う。読者の皆様のご愛顧に心から感謝したい。(市川)