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世界経済評論IMPACT

歴史のなかの輸入代替工業化
2014.02.17

 輸入代替工業化といえば、近年では、保護主義の代表格として捉えられる傾向があり、とくに先進国ではすこぶる不人気である。というのも現在は、グローバルな次元で自由貿易優位の時代だからだ。しかしながら歴史を顧みると、現在先進国とみなされている国がその昔、かなりのレヴェルの保護主義のスタンスを長い間採っていたことがわかる。そこでここでは現在にいたる輸入代替工業化の幾多の事例のなかで、イギリス(イングランド)と日本のケースを考えてみよう。

 ネオリストニアン(新リスト主義者)のハジュン・チャンによれば、昔々ヘンリー7世(在位:1485-1509)の治下でイングランドは、羊毛工業の実質的な輸入代替工業化を試みることとなった。技術者の最初の誘致はエドワード3世(在位:1327-1377)のときだったともされる。当時良質な毛織物を製造していたのは、低地諸国のフランドル地方(現在のベネルクス地域)であった。当時のイングランドはトマス・モアの『ユートピア』(1516)によってイメージされるように、羊毛を刈り取ってそれを低地諸国へ輸出するといったパターンの典型的な一次産品の輸出国であった。かくしてヘンリー7世治下に始まる羊毛工業の輸入代替工業化の過程は、エリザベス1世(在位:1558−1603)治世末期において完成したのだった。イングランドにおける羊毛工業の確立には、なんとおよそ100年を要したのである。

 そのエリザベス1世の時代、1600年にイギリス東インド会社が創設された。周知のようにこの会社はやがて、18世紀になるとインド洋地域の支配権をオランダからじょじょに奪い取り、最終的にインドを植民地化した。当時のことだから、その過程には暴力をともなっていた。そのような政治面についてはさておき、貿易面についてみると、ポルトガルとオランダの時代まで絹や磁器,香辛料の獲得が主な目的だったが、イギリス東インド会社はインド産のキャラコ(綿布)を大量に輸入した。そのことがイギリスの、否、いうなれば世界の歴史を大きく変えることとなった。それが産業革命の大きな契機となったのだった。18世紀後半に産業革命は始まったとされる。しかもそれは綿工業の分野であった。すなわちイギリスの産業革命は、インド産のキャラコを輸入代替工業化する過程だったのだ。この認識は、日本を代表する経済史家のひとり川勝平太(現静岡県知事)によっても与えられた。その過程において、生産システムの変容がもたらされた。工場制手工業から機械制大工業への転換これである。いずれにせよここで強調したいのは、インド産の綿織物をイギリスは産業革命の進行において輸入代替したという史実である。そしてそれは世界を圧倒する輸出実績へとつながったのだった。

 次に筆者が採り上げたい輸入代替工業化の事例は、日本のケースである。歴史上その重要性を顧みるべき出来事は、戦国時代、長篠の合戦をはじめとして幾多の合戦において軍事戦略的に使用されたとされる鉄砲がそれである。前述のイギリスのように国家的プロジェクトではなかったものの、それこそ、日本が歴史上誇るべき輸入代替工業化の象徴例なのだ。日本に初めて鉄砲が伝えられたのは、いろいろな説があるようだが、1543年にポルトガル商人によるとされている。いずれにせよそれから1〜2年で国産化されたのだ。輸入代替といっても輸入されたのはほんの僅かであって、火縄銃というかたちで結実したのだが、ほとんどが国産化された。この史実は何を含意するだろうか。たしかに大砲などの火器は、当時のオスマン・トルコやポルトガルなどでかなり殺傷力のあるものが使用されていた。それゆえこれらの国家はその他世界を圧倒する強大な勢力だったといえる。日本は地理的に極東なればこそ幸運だったとみなすことができる。しかし日本と同じような伝わり方のケースをみると、日本のような即時的国産化は稀有なケースであることがわかる。そこには日本人特有の忍耐強く勤勉に努力するという気質が窺われるのではないか。

 そしていまはどうだろうか。すぐに思い当たる。航空機製造の国産化がそれである。さしあたり中型機の輸入代替過程に入っていて、輸出の見通しも明るいようだ。それというのも過去の日本において、自動車産業の輸入代替工業化から輸出指向への転換を通して大いなる成功を実現したという史実が、その根底にあるからだろう。

 このように史的に概観してみると、輸入代替工業化は保護主義的色彩が濃いので悪であるというのはやや近視眼的であるといわざるをえない。

 キーワード:輸入代替工業化イギリス