『世界経済評論』定期購読キャンペーン中!(年間4200円) お申し込み

世界経済評論IMPACT

マンデラさんに捧ぐ:虹の国南アフリカ共和国の未来に願いを込めて
2013.12.23

 南アフリカ共和国のマンデラ元大統領が亡くなった。これは単に遠い国の英雄の訃報としてではなく、敬愛する人がその生を終えたという重みで私の心を鋭くえぐった。リーダーとしてのその姿に心から打たれていたからである。

 2013年6月、はじめて南アフリカ共和国のヨハネスブルグを訪れ、当時すでに危篤状態に陥っていたマンデラ氏の自宅前で祈ることができた。この訪問のきっかけは、Pan Pacific Conference(PPC)という経営関連の学会が開かれたためである。PPCは、アメリカのネブラスカ大学教授であるサン・リー氏が設立した、環太平洋諸国の大学を中心とした学会で、毎年、いろいろな国で会議が行われる。ヨハネスブルグ大学の教授陣がぜひ、南アフリカでも、と熱心に説いていたが、安全面での懸念があるため、長らく実現しなかった。ワールドカップが無事に行われた後、リー会長もついにヨハネスブルグでの開催にゴーサインを出した。とは言うものの安全面の不安が払しょくされたわけではない。特にヨハネスブルグは世界でもっとも危険な都市(ガイドブック等による)で、ダウンタウンは昼間であっても近づかないように、との警告がある。しかし、異文化経営をライフワークとしている自分としては、機会があればあらゆる場所に足を運び、この眼で確かめることにしているため、あえてヨハネスブルグを訪ねることにした。

 予想に反して、南アフリカは良いところであった。高原に位置しているため、気候はすこぶる良く、食事もワインも大変美味しい。しかも、安価である。会議場の近くの普通のレストランで食べた握りずしは形も味も日本と変わりなく、感激した。人なつっこい人が多く、大変親切である。ただし、ツーリストとしてヨハネスブルグのダウンタウンに行くことは厳禁であったが、現地の友人に頼み込んだら、強化ガラスの車で案内してくれた。(当然、貴金属の類はすべて取り外し、ハンドバックもトランクに入れる、という念の入れようである)。ダウンタウンは、誤解を恐れずに一言で言うと「周辺諸国からの不法移民に占拠されている」という印象であった。マンデラ氏があまりにも周辺諸国に対して寛大な政策を取ったため、とも言われている。その点だけは批判の声を耳にした。

 黒人居住地であるソウェト(SOWETO)のツアーに行く機会があり、ガイドはアパルトヘイトを生き抜いた黒人の男性だった。この人はアパルトヘイト時代のある日、政府の決める時間内に帰宅しなかったため、投獄され、数年間を刑務所で暮らした。自由の身になって久しいが、今でも「融和のための対話」が続いているという。すべての人々がアパルトヘイト時代にされたこと、してきたこと、それを越えて、融和しよう、という壮大なreconciliationへの道である。Constitution Hillという旧刑務所に、マンデラ氏が投獄されていた時代の展示があった。中でも目を引いたのは、彼が投獄されていた27年の間に毎日壁に刻んだという棒線である。27×365・・ 10,000を超える線・・・マンデラ氏はどういう思いで日々、それを記していたのだろう。マンデラ氏はあるとき、親交の深かったクリントン大統領に語ったという。「はじめの11年間は憎しみで煮えくりかえっていたが、ある日ふと、こう思った。自分と家族はすべてを奪い取られたが、それをすべて受け入れよう。何をされようとも、自分の心と精神だけは奪い取ることはできないのだから。」

 そして、解放された後、マンデラ氏は復讐ではなく融和の道を選んだ。なぜ、自分を傷めつけた人を怨まないのか、とのCNNの記者の質問に対して、マンデラ氏はこう答えている。“Leaders cannot afford to hate.”(リーダーには人を憎んでいる余裕はない)。憎しみは憎しみの連鎖となるだけだ。許すことから、明るい未来が開けてくる。だからリーダーは率先して許さなければならない・・彼はそう言っているように感じる。

 ヨハネスブルグの滞在中、大学主催のレセプションが開かれた。出し物のひとつに学生たちの歌があった。目を輝かせた若者が10人に舞台に上がった。黒人が9人で白人は1人・・その笑顔にくったくはない。みな、楽しそうに肩を寄せて歌っている。彼らは人種を越えて、大学生であり誇り高き国民である。その姿に、憎しみを越えたこの国の明るい未来を見た。マンデラ氏が命をかけて築いた国の姿がここにある。彼の精神はこれからも南アの人々の心に生き続けるだろう。そして、彼の示したリーダーシップという灯は遠く離れた私の心をも煌々と照らしてくれるのである。

 キーワード:南アフリカマンデラ