世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.773

電通過労死事件とグローバル人材

榎本俊一

(中央大学大学院 講師)

2016.12.26

 電通の髙橋まつりさんが亡くなって一年が過ぎた。彼女の勤務実態は詳らかになっていないが,体力の限界を超えた長時間勤務,上司の厳しい指導などが心身ともに彼女を自殺に追い込んだとされる。将来のある若い女性が,可能性を開花させることなく,不本意な形で人生を完了させてしまったことは愴しい限りであり,遣り直せるものであれば手助けをしたいと思う人は,電通社内社外問わず多数いるはずである。力こそないが,私もその一人である……。

 髙橋さんの死を受けて,相当時間が経過したものの,厚生労働省が電通本社及び支社に労働基準法違反の疑いで強制捜査を実施し,電通も労働環境改革本部を設置して過労死防止に向けた改革案のとりまとめに動き出した。現在,安倍内閣は目睫に迫った労働人口減少に備えて「一億総活躍社会」を掲げ,女性の活用,ライフ・ワーク・バランスの充実,同一労働・同一賃金等の改革を進めようとしている。労働時間短縮等の「働き方改革」は高橋さんの不幸を繰り返さないため重要な意義を持つ。

 この点,これまでも日本では,グローバル企業と目される企業であれば(電通は違ったようである),欧米に比べ長い年間労働時間を短縮すべく,職場一律での残業・休日出勤禁止等の措置を講じてきた。部下が残業・休日出勤した場合に上司の勤務評定にマイナスを付けることで,上司が部下の勤務状況を厳格に管理するよう仕向けた結果,成果は上がっている。今後の「働き方改革」でも,有給休暇取得の目標設定等により更なる労働時間短縮が進むと予想される。

 労働改革では,働く人の権利と福祉が重視されるべきであり,かかる動きは歓迎すべきものだ。だが,何か見落としはないだろうか。そもそも日本企業は欧米企業のエリートの早期選抜と内外無差別登用の慣行を持たず,新規一括採用した大卒社員を幹部候補として取り扱い,OJTにより職務能力を高め(全員でなくなったが)課長レベルまで昇進させつつ経営人材を長期選抜してきた。この全社員を幹部候補生として平等に取り扱うシステムは「働き方改革」にも反映され,一律的な労働時間短縮が進められようとしている。

 企業は超人ではなく普通人により支えられる以上,普通人が健康で充実して働ける職場を築かなければならない。しかし,企業のイノベーションや飛躍的成長が「ダントツ人材」により担われることも事実であり,ダントツ人材が誕生し活躍できる場を作れなければ,日本企業は閉塞状況を打破できない。では,ダントツ人材は全社一律の働き方を求める中から誕生してくるだろうか。

 現在日本が求めるグローバル人材もダントツ人材の一種である。1980年代央以降,円高を契機に進められてきた日本企業(製造業)のグローバル化はほぼ完了し,今や課題は,如何にグローバル・ネットワークを統合運用してグローバル競争に打ち勝つかに変わった。グローバル戦略に舵を切った武田薬品が2014年以降社長,取締役に海外人材を登用したのは,ネットワークを運営できる者が日本社員に居ないためだった。武田薬品でも,新卒社員を横並び競争させ人材を長期選抜してきたが,それではグローバル経営のできる人材は育たなかったという苦い認識が武田薬品の海外人材登用の背景にある。

 繰り返しになるが,高橋さんの悲劇を避けるには,外形標準的な基準により全社一律・画一的に「働き方改革」を進める必要がある。しかし,欧米企業はエリートと非エリートとを選別し,5%に満たないエリートが日本人以上の長時間労働と仕事中心主義の生活に耐え,代償として短期間の昇進昇級とグローバル経営参画を認められる中,日本企業が新卒社員を一律に取り扱い,各人の仕事に量的にも質的にも上限を設定したならば,欧米エリートに対抗できるダントツ人材は生まれるだろうか。今後ダントツ人材が必要なのであれば,平等主義と長期選抜に立つ日本型キャリア・システムそのものも軌道修正しなければならないのではないか。

 高橋まつりさんの悲劇は我が国の「働き方改革」を加速させるだろうが,現政権が目論むように,日本型キャリア・システムの根本的見直しには手を付けず,残業・休日出勤規制,有給休暇取得促進等により全社員の年間総労働時間を短縮する取組には限界がある。ダントツ人材を育てるには,日本型キャリア・システムの画一主義を克服する必要があり,エリートと非エリートを分ける欧米企業型に接近せざるを得ない。欧米エリートも超人でない以上365日24時間働けるわけではなく,前日の労働と次の日の有働時間に一定の休業時間(11時間等)を義務づけるインターバル規制により守られている。日本でも,欧米の知恵に学ぶことで,ライフ・ワーク・バランス改善と企業競争力の維持向上を同時達成できるのではないだろうか。

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